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そして地震→翌日帰る

今回のも前回の続き。

2011年3月11日はわしの記憶にしっかり刻まれる日となった。
わしだけではなく、日本に住む方々全員の記憶に刻まれることとなったと思う。

その日はわしが家に帰る予定の日で、午後6時過ぎ成田発仁川行きの飛行機に乗ることになっていた。成田に行くには通常、県道180号線と京葉道路を通っていくのだが、そのどちらでも交通渋滞が予想されたので、早めに家を出るということで午後2時半前に松戸を出発した。県道180号線沿いには競馬場があって、そのために時々渋滞するのだけど、その日もやはり渋滞との道路情報が表示されたので、京葉道路原木ICに向かうのではなく市川ICに向かおうとして少し行った交差点で信号待ちをしていたら、ラジオで「三陸沖で大きな地震が発生しました。地震の揺れに注意してください」といった内容(だったと思う)が流れた。それが午後2時46分か。
「ここら辺も揺れるだろうね」と家族が言うや否や、車が揺れ始め、外の電線が揺れ始めた。そして……日本人ならなんとなく感覚があると思うが、このくらい揺れたら揺れが収まっていくという時間がある。その時間を過ぎたからまあ大丈夫だろうと思っていたら、そこからさらに揺れ始めた。下手したら車のピラーに頭をぶつけてしまうくらいに揺れた。それでも近所の建物のガラスが割れたりしていなかったので、これは震度5弱か5強といったところだなと思った。こんなに揺れた事なんてそう滅多にないだろうと思った。

地震がおさまったところで、周辺の店や学校から人が出てくるのを横で見ながら一路本八幡方面へと向かった。途中余震を受けながらも京成線の走っている近くまでは行けた。ところがそこから先が渋滞地獄だった。ぜんぜん動かない。1kmを1時間ほどかけて本八幡駅まで行ってそこでいったんトイレ休憩。そこからなんとか市川ICにたどり着いた。情報によると東関東自動車道の宮野木~成田空港の間で通行止めとなっているという。京葉道路に出てしまったので仕方ないから行けるところまで行って、そこから成田街道などを使って成田に向かおうということになった。
ところがその京葉道路も原木ICの手前で「ここから先通行止め」という文字が。そして前方を見れば原木ICの先で渋滞して動けない車の列が見えた。湾岸のほうは情報がなかったので、原木ICで京葉道路を降りて湾岸市川ICに向かった。ところが湾岸市川ICも通行止めになっていた。仕方なく原木ICまで戻って、交通整理をしている警察官に事情を話し道路状況を聞いた。すると、花輪ICより先に進めないけど、とりあえず行ってみたらと京葉道路を走る事を許してくれた。
ご存知の方も多いと思うが、原木ICから花輪ICまではいくらもない。でも千葉街道を走るよりはましなので京葉道路を使った。花輪ICにさしかかった時点で午後5時を回っていた。飛行機が定刻出発なら、こりゃ飛行機に乗れそうにないなと覚悟を決めて航空会社に連絡をする事にした。しかしご存知のとおり電話はつながらない状態。複数の携帯電話を駆使して、何十回とトライしてやっと航空会社につながった。
「飛行機に間に合いそうにない。どうにかならないだろうか」
ところが返ってきた答えは、「今のところ飛行機は定刻出発。いったん他の日に出発できるかどうか検討してみる」という事だった。
同時に韓国の職場にも連絡。勿論電話なんかつながりゃしねぇ。そこで携帯メッセージを送信。こちらも何十回と繰り返しながらやっと送信できた。

花輪ICを抜けたところで航空会社から連絡があった。あちらも何度もトライしてくれたに違いない。結論としては「成田空港は全面封鎖。飛行機は欠航決定。したがって明日以降の他の便に無料で変更可能」というものだった。それで12日朝に羽田発金浦行きと13日午後6時過ぎ成田発仁川行きに席があるというので、いったん羽田発を予約し、座席番号も決めてもらった。これで花輪ICから成田街道を使って成田に行く必要がなくなったので、県道8号線鎌ケ谷経由で家に帰ることにした。それが午後6時頃。
もちろんすかさず職場に連絡。それと、弟にも連絡。実はわしの見送りをするために、夫婦で上野からスカイライナーに乗ってくることになっていたのだが、地震で鉄道が全面ストップ。京成上野駅で待ちぼうけを喰っていたのだ。「分かった。じゃ帰る」「どうやって?」「歩いて」歩いて横浜まで帰るんかい。「鉄道もバスも動かないから」

で、こちらはこちらで、県道8号で鎌ケ谷、そこから県道281号で帰宅の道をとったのだが、これまた渋滞。停電になっているわけではないが早々と店を閉めた大手スーパーを横で見ながらちんたらちんたら走る。弟のほうからも「今秋葉原」「今丸の内」などという情報が伝わってくる。で、我々が家にたどり着いたのが午後10時を回っていた。さっそく家の被害状況を確認。
20110311221306.jpg
こんな感じにはなっていたし、戸棚の中のガラスの食器や花瓶の一部が割れていたりしたけれど、重大な被害はなかった。

食事を作りながら、テレビをつける。ここで初めて今回の震災の状況を実感した。
車のラジオで、津波警報ではなく大津波警報と言っていたのだが、それがどれほどのものだったか、映像を見てはじめて知った次第。関東では交通網と電話回線の麻痺で20kmの道のりを4時間かけて行って4時間かけて戻ってきただけになってしまって、それはそれで大変だったけれど、津波の実害に遭われた方々はどれほど大変だっただろうか。停電してしまった地域はどれほど寒かっただろうか。
母上がバタバタしながら作った、キムチやらなんやらいろいろなものが入って訳が分からない事になっている混ぜご飯を食べながら、とりあえず食事にありつけただけでも感謝しなければと思った。
弟からも連絡。御成門の小学校が帰宅できない人たちの避難所になっていたので、そこに泊まるとのこと。自分たちは早々に泊まる事を決意して食事にもありつけたが、その頃はほとんど人がいなかったけれども後から後から人が押し寄せて結局体育館がいっぱいになったとのこと。

その翌日は3時に起きて、4時前に出発して羽田を目指した。ルートとしては高速道路はまったく使えないので、環七から湾岸に出て、国道357号を使うことにした。
さすがに夜明け前だから道も混むことなく、6時前に羽田空港国際線ビルに到着できたけど、今思うとこのルートって液状化現象やら海底トンネルの破損などで通れない可能性があったのだった。実際浦安は大変な事になっているし。だが夢の島もお台場も3つの海底トンネルも何の問題もなく通る事ができた。

20110312054858.jpg
空港にたどり着くと、いろんなところでいろんな人が休んでいた。このような渡り廊下でも人が休んでいた。

20110312062238.jpg
いろんな人とは失礼か。羽田から飛行機に乗るはずだったのに飛行機が飛ばなくて空港で夜を明かす事になってしまった人たち。そして羽田から家に帰ったりホテルに行ったりするはずだったのに交通網が麻痺して空港で夜を明かす事になってしまった人たち。
とりあえず午前6時過ぎに、京急が走り出し、モノレールが走り出して、改札口の前の長蛇の列が少しずつ短くなっていった。

わしの乗る便は、どうやら出発するかどうかでかなりもめていたらしいのだが、6時半過ぎにようやく出航の手続きが開始された。そこにはキャンセル待ちの人がたくさんいた。わしもキャンセル待ちの列に並ばないといけないか係員に尋ねたら、予約がちゃんとできているので通常通りの受付でよいとのこと。つながりにくい電話でやっとやり取りをしたという感じだったが、これでちゃんと帰ることができるのだなと思った。

20110312064153.jpg
一応日韓ちゃんぽんは魚のブログだから川の写真を上げておかないとな。言うまでもなくこれは富士山と多摩川。

20110312100457.jpg
まぁ飛行機はやはりというか定刻には飛ばなかったけどな。搭乗手続きも遅れたし、なんだかマニュアルで乗客の数を数えたり、乗る事になっていた人の荷物を降ろしたりして、結局2時間以上遅れて羽田を出発。

飛行機は無事に金浦空港に到着。すぐさま電話を入れるが、どうやら羽田までわしを送ってくれた親父殿たちは、帰り道に素直に来た道を行けばよかったものの、案内に釣られてレインボーブリッジを渡ってしまい、都内の大渋滞に巻き込まれたという。弟たちも地下鉄が動くようになったので帰れたとのこと。
こちらは金浦空港に着いたら着いたで、車が仁川空港にあるから荷物を抱えてバスで仁川空港に移動、それから帰るという、金浦空港に自分の車があった場合に比べて1時間ほどのロスタイムができたが、無事家に帰ることができた。
親父殿たちは途中食事をしたとはいえ、わしが家に着くよりも遅く家に着いた。四つ木から江戸川を渡るまでが大変だったらしい。


やれやれ。今回の帰郷は最初から最後まで事件ばかりだった。
今は東北地方の一日も早い震災からの復興と、原発の安全な処理を祈る毎日。日本においてきた娘にもちょっと申し訳ない。
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コメント

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No title

アキミツさま

そんな状況だったのですね.
こういう時はほんとに交通機関に多大な影響が出ますね.
日頃は普通に使っているモノが,一気に不便になるんですから,震災の怖さを感じます.

私はすぐに水槽が心配になりましたが,ご覧になったように,水が半分しかなかったのであふれ出ることはありませんでした.ただ,自宅のトイレのタンクから水がこぼれ出て,床に小さな水たまりが出ていました.

とにかく,娘さんが心配ですね.阪神の時はPTSDにかかる子も(大人も)多かったですから.
それに放射能についても気がかりです.

その後,かなりおさまったとはいえ,小さな余震は続いています.
原発を含め,日本は今後どうなっていくのでしょう.

Re: No title

らいあます様
コメント有難うございます。

トイレに水溜り程度でよかったですね。ひどく揺れて、水道周りが破裂してしまうなんてこともあり得ましたからね。


地震などの際には交通のインフラに支障が出るのは仕方がないとして、ライフラインや情報のインフラはもっと強固で信頼性の高いものが必要だと思いました。
本当に原発だけはできるかぎり放射性物質の露呈なく確実に処理完了していただきたいものです。
母方の親戚が茨城と福島の県境付近に住んでいまして、「福島第一原発から50km」というとみんな含まれてしまうのです。そのうちの小名浜に住む家族が私の実家に3日ほど滞在した後、その息子がすむ福山へと向かいました。
はやくみんなが安心して暮らせるようになればと願うばかりですが、電力に関しては、少なくとも1年間、特に今年の夏に問題が発生する事が目に見えていますので安心できませんね。
あとは放射性物質。これは大気中の浮遊物だけでなく海のほうも目が離せませんね。

娘のほうは結構生活をエンジョイしているようで、「昨日プリキュアの映画見に行ったよ~」とか言ってます。
プロフィール

アキミツ

Author:アキミツ
97年から韓国に住んでいます。妻は韓国人、子供たちは二重国籍です。
韓国の田舎で野良仕事からサーバー管理まで仕事をしつつ、ときどき川に行ってはガサガサして魚をとってます。

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